中部タイの旅とミーチャイ財団
2013年1月15日~2月22日

After I bought flight ticket to Bangkok,I could not to attend long distance learning school as I did. So that I changed my mind to enjoy backpacking trip to world heritage site from SiSatchanalai to Ayuthaya and Kaoyai national park with my friends.Besides,I met Mr.Mechai and visited Mechai Pataya school. I could communicate with many Thainese,European,American and Chinese. It might be my last journey in Thailand. I appreciate my firiends Nittaya Air,Navara Nan who helped me.

20 21 22 23 24日以前はこちら 25旧スコータイ:シ・チュム、プラー・パ・ルアン、サパン・ヒン寺、チェディ・ウガム寺、マハタート寺 26チェトゥポン寺、メーチョン寺、歴史公園夜景
27旧スコータイ
歴史公園→新スコータイ
28新スコータイ→カンペンペット 29歴史公園:プラカーオ、プラ・ノーン寺、チャーン・ロム寺 30→ナコンサワン 31→ロッブリー:プラン・サム・ヨット 2/1チャオプラヤー・ウィチャエーン邸、プラ・ナーラーイ・ラーチャニウェート宮殿 2新ロッブリー:動物園、ナーラーイ像
3日以降はこちら

Bird's bonsai and workshp.

take Khaotom at morning market. 

entrance of Oldcity guest house

outside of moat

gate of Wat SiChum

statue of Wat SiChom

diagram of a restoration

Wat PhraPhaiLuang

with lady from Marseille who studied
Japanese in high school.



hinduLingam inside at Wat PhraPhaiLuang

with students from Phitsanulok
at Information center

Wat SonKhao


Wat Sorasak

cyclist from Berlin

accident with bike and bus
Papilio helenus on the road

Ramkhamhaeng monument at police training
foresty site gate

Wat SaphanHin

Wat ChangRop

Wat KhaoPhraBatNoi

Wat ChediNgam

Wat ThamHipBon and entrance

Wat ThamHipLang

with Chinese tourist at gate

Wat Mangkom

Wat PaMaMuang

Thewalai Mahakaset

Wat PaSak

Wat Tuk

1月25日 シ・チュム、プラー・パ・ルアン、サパン・ヒン寺、チェディ・ウガム寺、マハタート寺

 6時半、洗面を済ませて預ける荷物を持ってコーヒーショップの空いたスペースに置く。朝食を食べに行こうとしたら、バードが盆栽の手入れをしていた。始めて8年、千葉の女性に教えてもらい、本を読んで習得、Banthaiの名前でFACEBOOKに掲載している。他に興味ある人に指導もしていた。松を中心として庭全体を盆栽で埋めていた。
 大通りに出てカオトムを食べられる所を探す。朝市の方の寺へ曲がる角でやっていた。卵とモツが入ってスープの色が濃い。通学バスが通り、仕入れのリヤカー、4人が前に乗れる三輪タクシー、托鉢僧、盲人で楽器を演奏しながらお布施をもらう男が路地を行き交う。

 7時35分、25B払って出る。揚げ豚皮ケープムー(10B)を買って戻り、リュックを担いでソンテオトラック乗り場に行く。プロヴァンスから来た初老夫婦と一緒に乗って出発。今度はバス・ターミナルに寄る。スコータイ高校の生徒3人が学校前で降りていく。

 スコータイ歴史公園前で降りる。この公園の整備に、日本はユネスコを通して修復機材といった購入資金など総額1億円以上を供与して1992年に完成している。
 オールドシティ・ゲストハウスに行く。部屋を確認してから2日分払って9号室に荷物を置いて、小型リュックにストックやポットを付けて出発。自転車を借りて、遠くの遺跡シ・チュムに向かう。サラカーム大学生がバスをチャーターして歴史研修に来ていた。
 入場料150Bを払い、壁に囲まれた立仏像に向かう。「恐れない」という意味のアチュラ仏と言われる、高さ15mの坐仏が鎮座していた。煉瓦に漆喰をかけて修復。立札によると、2004年の修復には東京にある国立文化財研究所が関与していたようだ。日本人10人をガイドするタイ人の解説が耳にはいる。雷が何度も落ちた伝説やムカデ芝がスリランカから入ってアユタヤにも流布していること、スコータイ像のてっぺんがトウモロコシの形をしている謂れなどは面白い。
 近くにあるプラー・パ・ルアンは堀の中に幾つもの仏塔やヴィハーンを楽しめた。マルセイユから来たカップルの彼女は高校で日本語を習っていて片言の日本語を話す。平仮名で書かれた「みかん」の飴をプレゼント、彼に写真を一緒に撮ってもらう。小型の坐像や、片側に立像は残っていても僅かだった。板張りの橋を渡って「インフォーメション・センター」に行く。

 中学生達が記念写真を撮っていた。合図をするので手を振って応える。入口に行ってみると、さっきの中学生が集まってくる。先生も一緒になって写真を撮る。ピサヌロークの修学旅行生だった。大きな模型を前にしてガイドが解説している最中に婆さんが「写真を一緒に撮りたい」と言って中断させる。彼女はイサーンのアルサラーカム短大でガイドの勉強をしていた。

 サンルアン門を通過して城壁の中に入り、ソンカオ寺と道を隔てたソラサク寺に寄る。台座を支える象が完全に復元されていた。近くで休んでいたカップルはベルリンからで、重装備の自転車でタイを周っており、10日、ここで休養した後、メーソットに行く。いままでドイツ国内の他、トルコ、インドをツーリングしている。

 十字路手前でソンテオトラックとバイクの衝突事故があった。バイクが倒れているだけで、運転者は一応病院に行った様子。警官が交通整理していた。タークに行く国道を走って行く。ボーイスカウトキャンプの標識を過ぎ、更に行くと、左手にラームカムヘン王の彫像が立つ広場があった。制服を着た男の許可を得て山をバックにして撮る。序でに地図を見せてサパン・ヒン寺は後どの位かかるか聞いて見る。既に通り過ぎていた。戻ってボーイスカウトキャンプ表示のところを入っていく。入口で100B徴収されて、しばらく走って行くと、右手の丘の上にサパン・ヒン寺の仏像が見える。指定の駐輪場に停めて鍵をかけ、スレート石を繋げた所を登っていく。サパン・ヒンという名前も、このスレート石から来ている。

11時15分、丘の上に立つ。立像は右手の平を前に出した「赦し」の姿勢。中々のもので、1人恩恵を受けている気分になる。ここからスコータイ一帯が見える。アンコール遺跡のように木々に隠れてしまって遺跡は良く見えなかった。
 次にチャン・ロップ寺を見て行く。プラーバット・ノイ寺へは、自転車で近くまで行って写真を撮って直ぐ戻る。チェディ・ウガム寺へは再び登っていく。そこにタイ人女性らしき人がいた。話してみると、タイ語でなく英語で答える。北京の近くから来た人で、日に良く焼けている。年末の12月21日、失職したのを機にひと月1人旅をしている。私はボランティアだが、失職して放浪していることを伝える。道に戻ったところで白人男がいたので一緒に撮ってもらい、メールで送ることにする。反対方向に行くので別れる。
マンコン寺、パ・マ・ムアン寺、シートン寺と、同じような遺跡を撮って行く。

Wat SitHon

        昼顔や遺跡の窪地にと咲いて

サトウキビ畑を通過、城壁のオー門に入り、中を通って一度ゲストハウスに戻る。預けた荷物をピックアップして9号室に入れて、サンダルに履き替えて再出発。
 自転車グループが通用門を、切符を見せずに通るので、今までの入場券をポケットから見えるようにして一緒に入ってしまう。

entrance of SukhotaiHistoricalPark
 目指すは、マハタート寺。ここは写真でもお馴染みのが多い。

Wat Mahathat








 借りた自転車を良く見ると兵庫県で使われていた。

cycle from Japan

 3塔が並んだシーサワイ寺は池に囲まれていた。


Wat SiSawai
 プラーン型の塔を近くで見ると様々な彫刻が施され、中に入るとお供えできるところの石が変色していた。

 北上してマハタート寺の奥にあり、池に突き出たトラパン・ンゴエン寺に行く。遊行像がさりげなく立っていた。面長の顔の目や口が流線型で鼻は鷲鼻。あげた片手の指も流線型。スコータイ美術の中で最も惹かれる。

Wat TraphangNgoen
 池の中のスラ・シ寺に行く。

Wat SraSi

 修学旅行の中学生がそこらじゅうにいる。ラームカムヘン王像のところに行くと、リムジンで乗り付けた金持ち風のグループが黄色の花束を献花していた。夫人に何の花ですかと聞くとダオルアン。ダオは星、ルアンはEnlightenという意味で繁栄するという意味合いがあると説明してくれた。



King Ramkhamhaeng monument
 ラームカムヘン王の碑文のレプリカもあった。最古のタイ語の文字で、当時のスコータイの様子が記されている。「スコータイ王国は栄えたり 水には魚あり 田には米あり・・」スコータイとは「自由の夜明け」を意味する。1238年、タイ族首長パームアンとバーンヤーンがクメール軍に勝利、ここにスコータイ王朝が生まれた。
(最近、発見者であり解読者であるラーマ4世による捏造疑惑を柿崎一郎氏が明らかにしている)

Inscription by King Ramkhamhaeng
 15時10分、自転車を返し、リオの缶ビールを買ってゲストハウスに戻り、シャワーを浴びてから飲む。パソコンを立ち上げて記録を入れようとしたら、暗くなってしまう。電源コードを忘れたことに気づく。昨晩はバッテリーで動いていた。外を見ていると、ここには白人の他、車で中国人、タイ人家族が安さに惹かれてやって来ていた。
 18時半、大通りに出て直ぐ左の店に入る。ベランダの方は白人と若いタイ人がいたので中に入ってスコータイ・ソバ(腰のあるソーメンのようなもの)入りスープと海鮮炒飯を食べる。蚊に刺されないように扇風機を近くで回す。安くて美味かった。途中、何人かが来て料理を袋に入れて帰っていく。1時間後、ウィスキーのお湯割りを飲んで寝る。


wagon bus from Sukhothai bus terminal
to Tak

Bonut restaurant

Wat KonLaeng and Wat TonChan



Wat Chetuphon

Wat ChediSiHong

cattle and egret

trench at Namo gate side


baked banana cost 10baht

entrance of Sukhothai historical park

Wat Mahathat

1月26日 チェトゥポン寺、メーチョン寺、歴史公園夜景

 6時、従業員の声が聞こえて目を覚まし、排便。洋式便座だが、タイ式に水を流すやり方だった。水シャワーで頭もスッキリする。お湯を沸かし、コーヒーを飲んでから出発。ここにはタイ人観光客も泊まっていた。
 大通りに出ると直ぐ、ソンテオトラックが現われて乗り込む。客をピックアップするためか、ゆっくりと動いて行く。学生3人と「ヒノ」の制服を着た男しか乗らない。国道101との交差点で待つ間、花飾りを売っている男が車の窓から渡して古いのを引き取っていた。瑞々しさを出すためスプレーで水をかけていた。交差点を過ぎて直ぐにある日野自動車の店の前でヒノ男が降りて行き、後は街まで行く。
 「バン・タイ」に行くと、昨日、バスで一緒だったフランス老夫婦が朝食を取りに来ていた。今日はスクーターを借りて国立公園に行く。預けた荷物からコードと電子辞書をピックアップしてバードに挨拶してから辞去。今度はバス・ターミナルに寄る。同乗した客はリューベックに住む男。片言のドイツ語を話したが、私をタイ人と思っていた。「資本論」や「プロテスタンティズムと資本主義の精神」をドイツ語で言うものだから、「タイのどこの大学なの」と聞いて来る。
 ターミナルで降りて、28日に行くカンペンペットへのバス事情を確認、午後3時まで1時間置きに出ていた。ピサヌロークやウッタラディットからのバスが到着。スコータイ歴史公園へのバスは、タークへのワゴンバスになる。切符斡旋のオバサンに30B払い、一通り、乗り継ぎ客を待ってから出発。8人が車で出発を待っていた。運転手はスピード狂。対向車線が空いていると、トラックや乗用車を追い抜いて15分でスコータイに着いてしまう。降りたところで自転車のオバサンが歓迎してくれる。「後で行く」と言って、まず腹ごしらえに「ボーナット」へ寄ってカオトムを食べる。夕方は忙しいが、朝は客も少ない。日本人「イイダカ」を知っていると言う。部屋に戻ってリュックに必要な物を入れて出かける。
 9時35分、書類に書いて昨日と同じ兵庫自転車に乗って、南部の寺に行く。ナモ門を通過してコンレン寺、トンチュン寺に寄ってからチェトゥポン寺に行く。二重に堀で囲まれていて描きたくなる風景に来た。遊行仏像がチェディの先に立っている。自転車を指定の場所に置いて、マットの上に座って対話しながら、描きだす。鳥の鳴き声を聴きながら、何とかアウトラインが出来た。裏側にも彫られていた。お堂の中にある首なし坐像を見たり、石門から眺めたりする。
 11時、昨日、出会った中国人女性が現われる。なんと同じゲストハウスに泊まっていた。
「こうして経済的に動いているのも共通していますね」
「明日はアユタヤで友人と合流します」
 名前は盛雪梅なので、日本の盛岡を紹介する。
「岩手山が見えて雪が残っている5月前後になると桜が咲き、温泉も近くにあります」
「もう少し描くので」と言って別れる。

      Wat Chetuphon
 日差しも強くなったので、引き上げ、向かい側のチェディ・シ・ホン寺を一回りする。帰る途中、大きな木の陰に牛が数頭、白鷺のような鳥も一緒にいた。どうやら牛にいる虫が目当てのようだ。

 再び、遠回りして昨日食べた店に寄り、卵入り鶏肉炒飯とアイスコーヒーを頼む。ここには結構食べに来る人が多い。白人男はビールを2缶飲みながら食べていた。食べ終わった頃、アイスコーヒーが来たので、飲んだ後、残った氷を水ポットに入れて出る。
 お堀に囲まれたプラー・パ・ルアン寺を再訪。描こうとして、チェトゥポン寺にマットを置き忘れたのに気づく。木陰の石に座ってクメール式仏塔だけを描く。塔の頂上や近くの尖塔に鳥が停まっているのも描き込む。
緑陰の石に座りて遺跡描く
  Wat PhraPhaiLuang
 目安がついたところで、近くのメーチョン寺の座仏像に行って仏像だけを描く。描くことで対話できるのが良い。南方向に走ってナモ門に出てチェトゥポン寺に行く。幸い、少し汚れたマットは残っていた。戻る途中で焼きバナナを売っていたので、10B分買う。地元のオジサンと量が明らかに少ない。「ニンノイ」と嫌みを言って受け取る。
 15時半、自転車を返し、缶ビールを買って部屋に戻る。洗濯、シャワーの後、ビールを飲みながら、焼きバナナを食べてみる。中が紫色になっているのもあり、甘味はなくなっていた。パソコンに今日の記録を残す。
 18時、「ボーナット」が空いていたので、ビールの小瓶を飲みながらヤムウンセンと鶏肉入り野菜炒めとご飯を食べる。食後、世界遺産の方に照明が点いていた。21時まで居られるというので100B払って入場。懐中電灯は持ってこなかったが、一度来ているし、通常の道には街路灯が点いていた。また帰りは満月の方向に戻れば良かった。
 池に映っているのと合わせて撮ったり、照明が演出する景色を次々と撮っていく。

 夜の仏像は生き生きとしている。余計なものを見せないと本質を見せてくれる。

 結構、人が来ているし、自転車も使っていた。マハタート寺を中心に撮ってからラームカムヘン王像を横から月を入れて撮ったり、池越しに見える仏塔など夜景を楽しむ。



 19時40分、入口に戻って帰る。


dinner at open restaurant

birds called Pirahp
1月27日 旧スコータイ:歴史公園→新スコータイ

3時半、トイレで排尿。
 6時半、起床。洗面、シャワー後、パソコンに向かう。
 8時前、いつもの店でカオトムを食べる。8時の国歌が流れたので南に向かって立つと、従業員が喜んでいる。彼女達には関係ない儀式だった。食後、荷物を整理してから再びパソコンに記録を残す。一段落してプンに電話すると「どこか他の国に行っているかと思った」と言われる。極安のゲストハウスに泊まっているのでメールが送信できないことを詫び、来月8日にはバンコクに戻り、空いている日を伝える。

11時40分、荷物を預け、鍵を返して隣りの店に行ってカイダーオ(目玉焼き)と豚肉とハーブ、玉ねぎ料理を食べる。ポットに氷をたくさん入れておく。
 12時半、出発。歴史公園の受付けで100B払い、カラーの地図をもらって中に入る。夜景で見ておいた、池の先に立つサーシー寺の仏塔を描こうとしたら、木が前に立っていた。場所をずらして池の淵に座って描きだす。池には、かなりの魚がいるようで時々はねている。一通り描いたが、消しゴムを探す。結局ポケットの中に入れていた。
 13時50分、マハタート寺に移動。今まで描いていない仏像を探す。三方の壁があり、病気払いのため、右手を前に出している立像に決める。決めた他の理由は右手肘下に蜂の巣が出来つつあったから。黒々としていた。最初、直射日光を避けて描いていたが、結局、正面から描く。日曜日、いろんな人が観にやって来る。日本人夫婦と娘が来て、「上手」と言われてしまい、代わりに写真を撮って差し上げる。3人がタイ踊りをしているポーズを撮る。

15時、切りの良いところで仕上げて出る。サングラスがないので戻ったが、帽子の上にかけていた。疲れと暑さで、何を起こすかわからなくなった。薄黒い雲が太陽を隠している内に帰ることにする。途中のトイレは有料だった。事務所に預けた荷物をピックアップ。子犬が留守番役をしていて吠える。
 大通りで待つこと5分、ソンテオトラックが現われて乗り込む。白人3人が乗っていた。1人はバス・ターミナルで降りていく。町で降りて中瓶のチャン・ビールを買って帰る。オバサンが歓迎、同じ値段で3ベッドの部屋を案内する。ロビーでバードに会って握手。200B払う。ブエノスアイレスの近くから来たジャーナリストが取材、冬場の避寒地として取り組んでいた。

預けた荷物をピックアップ。まずシャワーと洗濯を済ませて、アーモンドを摘まみながらビールを飲む。このために生きているかのように飲む。1時間後、バッテリーが切れない内に終了。前回食べた屋台に行って、生姜と玉ねぎ、胡瓜の入ったご飯と、米入りスープを食べる。どちらも美味かった。(75B)主人に「おいしい」を教えて出る。前回と同じくアイスクリームに豆類をトッピングして食べる。電線に並んでいる黒い鳥の名前はピラープだった。


Bird takes care of his son to preschool

couple from Bern at bus terminal


Mr.Sawaht sitting together to KamphaengPhet

His daughter picked me up to guest house.

my room 

super market BigC

What kind of goddess?
1月28日 新スコータイ→カンペンペット

4時半、トイレに行き、再び寝る。
 6時半、自然に目覚め、シャワーと洗面を済ませ、仕度。携帯が見つからず、あせったが、リュックをひっくり返したら出て来た。これからは大事なもののありかをいつも確認することにした。外ではバードが父親にバンの車に乗せていた。ロビーに行ってコーヒーを飲みながら、フレンチトーストを食べる。(しめて85B)
 隣りのテーブルには、スウェーデンからのオッサンが別のガイドブックを見ている。ロンリープラネットは2009年版を持っているが、他の新しいのにしたという。この後、メーソット、ペチャブン、チェンマイから国境沿いに行く。やがて同行者がやって来た。

 バードが4歳の息子をバイクに乗せて保育園に連れていく。部屋に戻ると、窓から隣りの玄関に2人の僧侶が托鉢に来てお経をあげているのが聞こえる。

8時50分、オバサンとバードにハグされて、お抱えの運転手のバイク三輪車に荷物を積んで出発。途中、雑貨屋に寄ってウィスキーの小瓶を買い(110B)、バスターミナルに行く。途中、警官がバイクに乗っている男の身元をチェックしていた。25分後、到着。通常、バスだと20Bで行くので40B払う。係員に切符窓口まで案内されてカンペンペットまで60B払う。指定の1番ゲートにはバンコクからスワンカローク行きのバスが着いて、5~6人乗って行く。若い白人カップルの隣りの椅子に座る。スイスのベルンから来ていた。10時発のバンコク行きに乗る。青年はドイツ語で「ピの生涯」という小説を読んでいた。インド洋の島での物語。彼女は恋愛小説。彼は旅行代理店、彼女も一緒に働いていたが、辞めてソーシャル・ワークを勉強している。話しは富士山やフクシマになる。
「スイスの原発に対して反対決議がされたのをテレビで観ました」
「原発は早く止めるべきです」
「イギリスの経済学者ピグーは[漸進も進歩]と言っています。革命でおかしな方向に行くより、段階的に改善するのが、納得できると私のような年齢になると思う」

 9時45分、定刻にバスが着く。2人の写真を撮ってドイツ語で別れ、大きなリュックを下の収納箇所に預けて乗る。後方の2席空いている所に座る。20分後、キリマット町で家族が後ろに座り、南から南西に向かって走る。小山があったが、その後、平野が続く。防風林と水路はつきもののようだ。
 10時35分、プラン・クラタイ町に入ると車が両脇に駐車しているので、バスが通れるだけの幅になる。右折して停まり、親子が乗って来た。前の老人に声をかけて隣りに座り、2席使えるようにする。感謝される。

 白髪の爺さんは1941年生まれ。スコータイの農家でカンペンペットの娘に会いに行く。英語も話すのにビックリ。米や野菜を自給分育てているだけなのにおかしい。その内、過去6年、リヤドで働いていたことがわかる。フィリピンから来た人は英語が上手かったと言う。名前はサワート・パンヤ。我々アジアの年寄りが英語で話しているのが珍しいのか、前の席で女の子が立って見ている。名前と年齢をタイ語で聞くと、ベン8歳と答える。向かい側の席に祖母が座っていた。窓から遺跡が見える。ここで降りたいが、高速バスでは無理だった。ピン川の橋を渡って11時過ぎ、バス・ターミナルに着く。サワート氏はベンチに座って預けた荷物をとって来るのを待っていた。これから行く所が近いので、ソンテオに乗ろうとしたら60Bという。彼は携帯で娘さんに連絡、迎えにきてくれることになった。待つ間に次に行くことにしたナコンサワンへのバス時刻を確認。係員がスラスラと書いてくれる。
 やがて小学校の国語教師をしている娘さんがやって来て、同乗させてもらう。私の携帯で「3Jゲストハウス」に連絡、彼女に渡して行き先をわかってもらう。こういう時のために用意した日本の飴一袋とメール・アドレスを紙に書いて渡す。息子が日本に行ったことがあるらしく連絡をとって話したが、日本語は殆ど忘れていた。

11時40分、色々話している内に着き、入口で写真を撮って別れる。青年デイビスが応対。名前、旅券番号、国籍を書いて部屋を案内される。コテージだった。宿泊料はチェックアウト時。湯上りタオル、石鹸、冷水1ボトルを部屋に持ってきてくれる。着替えてビッグCまで歩いて行く。途中、タイ料理店があったのでカオパットを注文。口紅はつけていないが、眉毛をキリッと剃って態度からしてカトゥーイのオジサンが寄って来て甘ったるい声で「マーチャック」(どこから)と聞いて来る。トウキョウと答える。近くに孫を連れた老夫婦が来たので専ら彼らと話し、持っていた「りんご」と書いた飴をあげる。4歳の女の子のワイの姿がかわいい。炒飯は量が多く、30Bは久しぶりに安かった。
 新築の3階建てショップハウスの前を通り、十字路を左折してビッグCに入る。偶然デイビスに会う。スーパーは2階にあり、デッサン用に消しゴム付き2Bシャープペンシル、メモ帖、DARUMAと書かれたテープを買った後、緑茶入り豆乳6個入りセット、ヨントン・ウィスキー、パックされた料理、ツマミ等を買う。締めて348B。レシートを見ると、ウィスキーだけ英語でプリントされていた。

14時、出発。隠居生活を送っている白人爺さんや、タイ人と同居している爺さんを見かける。十字路の角に見なれぬ女神が飾ってあるので、近くの椅子に座っている爺さんに聞くと「トラレー」と答えていた。電報とは違う意味があるのだろうか。良く見ると、隣りに7つのナーガが口から水を出していた。30分後、ゲストハウスに戻る。デイビスはビッグCで相撲力士マークのついた5段収納ケースを買って来て、古いのと交換していた。
 部屋で一段落して湯上りタオル、着替えを持ってトイレに行く。1つは床にトッケイが蟻に襲われて食い物にされていた。もう1つは蛍光灯が点かなかった。ドアを開けたまま、シャワーを浴び、洗濯を済ませ、部屋で乾してからロビーに行く。最初は唸っていたラプラドール犬が、尻尾を振ってすり寄って来る。デイビスにトイレ事情を伝え、インターネットが使えないと言う。パソコンをロビーに持って来て見せた。結局、ワイアレスに対応できる部品が必要ということになる。今日の客は他に白人カップルがチェックインしていた。メールは諦めて、ウィスキーのお湯割りを飲みながら、記録を入れていく。
 18時半、目玉焼き、焼き鳥、ケチャップご飯などの入ったパック料理を食べる。食後、未だ記録していない部分を入れて寝る。


Ping river


Wat PhraThat

on the way to school



Wat PhraKaew

CityPillarShrine



worship by different style

sell PhraKhruang 500baht at shop

Wat PhraNon


Wat PhraSiIriyabot

Wat Singha

Wat KhruSiHong


scout activity

1月29日 カンペンペット歴史公園:プラカーオ寺、プラ・ノーン寺、チャーン・ロム寺

 6時半、起床。シャワーと排便を済ませ、お茶入り豆乳を飲んでから出る。従業員に自転車を借りようとしたら、日本人は足が短いからと小型のを用意する。ジェイムスが交代して選び、空気を入れて渡す。ゲストハウス「3J」というのは兄と姉もJがつくので付けていた。親戚が日本人と結婚しているので日本語に興味がある。「またお会いしましょう」「どこに行きますか」を教えて出発。カンペンペットとは「ダイヤモンドの壁」という意味だった。歴史公園に向かって走り、朝ご飯を食べておく。ご飯の上に2種類の料理をのせて25B。ソンテオバスに低学年の子どもだけが乗っていた。交通整理の警官に道を確認して走る。道は出勤の車で混雑していた。
 時計塔のところで、自分で磁石を見て方角を確認して行けば良かった。30歳前後の男がいたので、ワット・プラタートに行く道を訊く。
「それなら、この大通りで橋を渡ると右側にある」
「ええ?」
 後になって考えたが、彼の頭にはバス・ターミナルのことしかなかったようだ。そうでなければ相当の悪。英語が出来る他、彼はコボリの名前を言って別れて行く。朝も早いし、橋を上って真ん中でピン川の写真を撮り、下りて対向車線に移り、再び上がってヨム川とピン川が合流するところを撮って時計塔に戻る。

8時10分、ワンブロック先に行ってから左折。スコータイから来た時、通ったところで、普通のバスなら、ここで降りられた。右手の入口で外国人客のみ対象の共通券150Bを払って自転車で通る。形の違う釣鐘型仏塔が並んでいた。ランパーン工科短大の14人の生徒達がホモ教師の話しを聞いているので先に行く。「サヨナラ」と声をかけられる。奥には、右手の欠けた坐像が見える。ここはラテライトの黒い石が多い。
 赤い制服を着た女子高校生が学校に向かって通って行くので、写真を撮らせてもらう。授業では英語の他、フランス語、日本語を習っていた。プラカーオ寺では、丸い枕を三角形に積み上げた所に頭を置いた寝釈迦像が前にある。この頃から三角枕が出来たのだろうか。後ろには同じ形の坐像が並んでいる。顔は四角くアユタヤ朝時代のウートーン様式。先に行くと、景観のためなのか大木を切った跡がある。
 次の仏塔は下に16程の矢倉があり、僅かに仏像が安置されていた。

8時35分、サトリ・カンペンペット・ナレーウィタヤ学校から講話が聴こえる。遺跡の道を掃除する人がいて、南国の花を見ながら歩いていくと、現代版の塔に出会う。歴史ある市の聖柱を納めた神社だった。毎日5時から夕方5時まで開いている。参拝に来た人は、奥でダオルアンの花とナムエンと言う聖油瓶を買い求め、献花し、灯火の下に油を注ぐ。献金ボックスの前にある英語資料によると、700年前からラテライト石による聖柱があり、先端に守護神が飾られていた。ところがラーマ5世治世の折りには破壊された侭になる。更に1941年には守護神の頭が盗まれる。1984年になって県知事が再建、以後、市のシンボルとして市民に崇められている。当地のホンダ社が出版を援助していた。女性は参拝後、仏像に金箔を貼ったり、竹筒を動かした後、棒を引いて御神籤を読んでいた。奥の売店にはプラクルアンのセットを500Bで、入口では小雀や鰻、魚を空や池に放つために売っていた。

9時40分、方角を確かめて左斜めの道を走って行く。橋を渡る前にサカテオ寺の遺跡がある。川の流れが早かった。フォレスト・リゾートが左手にある。真っ直ぐ行くと入口になり、共通切符を見せて通過。まずプラ・ノーン寺に行く。林立する柱だけだった。倒れそうな柱を鉄棒で支えたりしている。樹間を尾が長く濃紺の鳥が飛び交う。上手く撮れなかった。ここの寺もすべて東に向かっていた。コン・チャ寺、パ・シ・アリバット(イリアポット)寺と巡って行く。奥に遊行立像の面影が残っていた。シンガ寺の坐像は左肩から黄色い布を掛けている。

カンパーン・ンガム寺の先、東の方の道に行ってみる。緩やかな坂を降りてしまい、スコータイに行く大通りの近くに出る。クル・シ・ホン寺は樹林帯の中にヴィハーラが3つある広大な遺跡だが、貧弱でもあった。余り通らない道を走って行くと舗装道路に出た。
 マ・ケット寺の近くで、6~10歳の地元の生徒がボーイスカウト活動をしていた。27人のグループが2列に並び、先生への報告をした後、スカーフで目隠しして、先生が渡す物の匂いを嗅いで何かをあてる。ライムや調味料の袋だった。先生にチャーン・ローム寺への行先を訊いて別れる。走って行くと、先生なしで高学年のリーダーが先頭に立って行進していた。
 チャーン・ローム寺はシーサッチャナライのチョン・ロム寺に似ていて象が支えている。スリランカから伝来している遺跡と言われている。



Wat ChangRob
 塔に登って中を観たが、窪地だった。一帯を眺めた後、入口に戻り、白い蓮の花を撮って、近くのキッチュな寺に行く道を教えてもらう。「犬に気を付けて」と言われた通り、細い道の中ほどで犬が数匹追っかけて来た。急いで一匹以上になると、逃げるしかない。気合いをいれてペダルを踏み、お寺の広場に出る。中国寺だった。門には「照普光佛」と書いてある。

china temple
 本堂の前の両側に狛犬のような像が立ち、中に入ると大聖佛祖を祀っていた。虎と竜がシンボルで、そこらじゅうに飾っていた。

9wise men(?)sitting at wall of tiger and dragon
 大通りに出て再び城壁の中に入る。北側を周る道を通る。大木の根が城壁の両側に伸びていた。

 名も知らぬ遺跡が原っぱに残っている。

 端2か所に入場料を取る検問所が残っていたが、見るべきものはない。ダン門から大通りを走り、ずっと南下する。気が付いたら、右手にナワラートホテルが見えた。

12時なので、比較的広いレストランに入る。既にベテラン女公務員が制服を着て食べている。バーミーを注文、物足りないので、他の客が食べている焼き豚をのせたご飯を食べる。2食60B。
 ピン川の川べりに出て北上。反対側に宿泊施設が並んでいた。バス・ターミナルに近いので宿泊を検討したところだ。
 手前の中州に大きなホテルを建てているが中断していた。

interrupt to construct in Pin river.

 遊園地と公園が続いているが、変りばえしないので東に向かって走る。その内、丁度、泊まっている道を走っていた。ビッグCに寄って孫娘の誕生カードを探したが、古臭いというか遺跡ものか仏教ものが多くて諦める。朝食用のクロアッサンと摘み用のナッツを買って帰る。
シャワーを浴びてビールを飲んだら、気持ちよく寝てしまう。

 16時半、ドーン、ドーンという花火のような音で目覚める。白人隠居組が近くの休憩場で寛いでいた。自転車に乗ってクーヤン寺まで行っ て見たが、本堂は閉まっている。池があるのは、報恩の魚を放つためなのだろうか。


Wat KhnYang

 暗くならない内にゲストハウス迄戻り、一度食べた店に行ってビールを飲みながら炒飯を食べる。

 部屋でパソコンに向かい、記録を全て入れたところで荷物を整理。トイレに行って歯を磨く。部屋の近くでは23時になるのに、男が3人して密教的なビデオを観ている。
「これから寝るんだけど、そろそろ部屋で楽しんでくれない」
各部屋にはマナーとしての注意点が書いてあるのをわきまえていない。彼らも素直に部屋に入って行く。扇風機を停めて寝る。



threeJ guest house

rice field

cross ChaoPhraya river

airport

guest house

steam locomotive made in England 1919year

NakonSawan station
1月30日  カンペンペット→ナコンサワン

6時半、起床。洗面、トイレを済ませ、お湯を沸かしてコーヒーを飲みながら、クロアッサンに蜂蜜を付けて食べる。仕度を終えて、外に出ると、既にシャモニー夫妻は木に囲まれた休憩所に居て、Iパッドで情報を見ていた。ジェームスに鍵を渡し、2日宿泊分と自転車、これからバス・ターミナルに行く手数料とで600B払う。お土産に、ゲストハウスの名前を入れ、後ろに象を浮き彫りにしたキーホールダーをもらう。車はマツダの新車ではなく、外に停めたオンボロジープ。大きな荷物を屋根に乗せて出発。座席ベルトを装着するところが壊れていた。彼は以前、シドニーの日本料理店で働いていた。

7時45分、ターミナルに着いて握手して別れる。ナコンサワン迄の切符を87Bで買い、8時半発なのでベンチに座って待つ。14番ゲートには既にバスが停まっていて客が中にいるが、ドライバーがいない。電子辞書で俳句季題を見たりする。ここにはトイレの「MAN」「WOMAN」以外、英語は使われていなかった。8時の国歌で殆どの人が立っていたが、少数民族の人なのか座った侭の男達もいた。
 8時15分、ドライバーが現われたので、確認すると、大きな荷物は預からず、後部ドアに案内される。予定より5分早く出る。エアコンが良く効いて風を送るので、蚊には刺されないが、目障りなので次々と叩き潰す。国道1号に入ってもオンボロのせいか、ガタガタ振動しながら走る。マッサージを受けている積もりで、リクラインを倒して休む。水田は2期作で、刈り取る前のは少ない。苗代を植えたばかりのが瑞々しく広がっている。
9時5分、車掌が乗ってきて、検札及び徴収をして来る。10分後、クロン・クルンで荷物を持った家族が後部ドアに案内されて乗って来る。どうやらナコンサワン迄行く客は後ろに乗せている。

穂芒の高き空ありバスの窓

芒が多いが、道端で売っている箒や屋根に使われているのだろうか。 9時45分、停まり、ドライバーが立って休んでいる。15分後、出発。車掌が変わっていた。25分後、左手にカオ・ノだろうか、鋭角の峰が見えた。未だ42キロある。沼には水鳥がたむろしていた。競馬用の馬が飼われ、西洋建築が見える。ヒノ自動車の営業所があり、テスコ・ロータスを新築していた。
 11時前、ナコンサワン(天国の都市)のバス・ターミナルに着く。まず3B払ってトイレに行く。大きなリュックの一部が欠けてしまったが、何とか担いでソンテオに乗り込む。ここからバンコク迄234キロ。ワン川、ヨム川、ナン川とピン川が合流したばかりのチャオプラヤー川を渡る。空港が見えた。牛の放牧風景や町に入ってビッグCの前を通過する。停まったら、ドライバーが緑色のソンテオに乗り換えるように言われ、僧侶と同じく10B払って、緑色のに乗り換える。彼も鉄道駅に行く。駅員に近くのゲストハウスを訊くと、広場の先に「サバーイ・ゲストハウス」があった。ウロウロしていると、オバサンがやって来て、「1泊250B」と言って2階の部屋を案内。テレビもあり、即払って鍵をもらう。英語を話す人いないか訊くと、2階から声をかけて爺さんがやって来た。プンボーラペッ湖か鳥を見に森に行くかということになり、15キロ先の湖まで500Bと言う。何もそこまで払うことはないので断る。それより、駅前の風景を描くことにする。
 まず、シャワーを浴びながら下着と靴下を洗濯、軽装で外出。近くで炒飯を食べる。人参などの野菜、卵、鶏肉、ニンニクが入ったご飯に生胡瓜を切ってあり、栄養のバランスが取れている。母と娘で切り盛りしていた。30B払って出る。向かい側でガイヤーンと糯米を買い、7イレブンでビールを買って帰る。
 テレビを観ながら、飲み食いした後、パソコンコードを接続して記録を残す。一段落して休む。

16時、目覚ましで起きて、駅に行き、明日の切符予約をしようとしたら、明日来れば良い。値段は26Bプラスチップ100Bという。お経を唱え、タンブン(お布施)と切り返す。単線が一直線に伸びている。広場に行き、使われていない店の前のベンチに座って、駅前の蒸気機関車を描く。1919年、イギリス・ノースブリティッシュ社製171号で2009年5月に再塗装されている。ホームに行くと、貨物操車場の跡地が広がっていた。
 17時半、一段落したところで、別の大通りを歩く。3階建てのショップハウスが続く。歩いている人はいない。バイクか車で移動。ヘルメットを付けて自転車に乗っている女学生がいた。1km以上歩いたところで、広場にナイトマーケットが出来ている。野菜、川魚、肉といった食料が中心だが、衣類、調味料も売っている。元気付けにニンニクを一袋買う。茹でたトウモロコシの1本売りはしていなかった。

night market
 雲行きが良くない。これから店を出そうとした人が諦める。

 18時過ぎ、速足で戻る。駅近くになり、屋根のある店で茸を捌いていたので肉と一緒に炒めてもらって食べる。足の弱い白髪の老人がテレビの前に座る。夕食は30Bで済んだので、7イレブンに寄ってチョコアイスバーを買って部屋で食べる。テレビではASEANニュースを放映している。一部はヘジャブを被った女性アナウンサーが担当していた。時々、列車が出発する合図が聴こえ、旅をしている気分になる。

冬の旅宿に聞こゆる列車音


station ticket corner

Mr.ChuChang and mehchii

sales in the train

with girl who understand grape.

at LopBuri station



PrangSamYot


inside prang

SanPhraKarn

Wat NakhonKosa
1月31日 ナコンサワン→ロッブリー:プラン・サム・ヨット

5時に起きてしまったので、予定を早めて7時1分発に乗ろうと仕度する。その内、雨の音。雷の音も聞こえる。今回、初めて。テレビを点けると、中部の予報はそうだった。北部は朝方15℃、昼間は30℃以下。バンコクは22~32℃。クロアッサンに蜂蜜を付けて食べ、コーヒーを飲む。
 6時40分、雨の音がしなくなったので、鍵を置いて出る。駅に行くと窓口は「CLOSE」のカード。5分後、女性係員が明かりを付けて応対。ロッブリーまで24B。2時間、100キロ以上の距離で70円。年輩の男の近くに座って待つ。彼は60歳、バンコクから更に南のプラチャップキリカーンに行く。未だ薄暗いのに電灯が消え、6時51分に到着。向き合って座る。定刻に出発。通路を隔てて尼僧2人と孫のような少年が一緒にいた。彼らは3つ先のノンポーに行く。通路を物売りが行き交いする。飲み物、胡瓜と肉団子、ガイヤーン、ピーナッツ等、摘み類が多い。車内のポスターに、細烏賊の「TARO」があった。トイレと手洗いもある。

カオトーン(金の山)駅に予定より早く着いたので、対向の石油タンクなどの貨物列車を待つ。一帯は、今まで水田かサトウキビ畑だったがキャッサバが多くなる。ノエンマコク駅で売り子が一斉に降りた。ノンポー駅の手前に立派な寺があり、彼女たちは駅から歩いていく。ファファイでは対向列車から降りたオバちゃん2人が買い出しの荷物を一杯降ろして一息ついていた。
 バーンタキは大きな町だった。たくさん乗ってくる。物売りも同じようなものを持って通る。ビックリするような音がして動いて出る。小山の中腹に金色の仏坐像が見えた。雷雨が過ぎたのに曇っている。 彼の名前はチュー・チャーン。タイ語しかわからないので、辞書を引き引き話す。時刻表と地図が役立つ。具を入れたインスタントラーメンを売りに来ていたお姉さん、売り物を彼の脇に置いて私の隣りで休む。彼の財布がポケットから落ちているのを指摘。胸ポケットに移す。

8時20分、チョンケー。右手に岩峰が続く。斜め後ろの座席に母と8歳位の娘がいて、愛らしい。持っていた飴をあげるとワイをする。辞書でタイ語「ぶどう」のところを見せると既に読めていた。停まらない筈の駅にも停まって直ぐ出る。時刻表に書いていないターケー駅にも停まる。
 9時15分、チャーン氏が荷物を窓から出してあげると言うが、お礼を言って別れる。予定より早いし、しばらく停まっているので駅を出る。ここは、かってラウォーと呼ばれ、6世紀から10世紀の間、ドヴァラヴァティ時代の要衝で、その後、クメール帝国の西の拠点であった。今はカニクイ猿の都となっている。線路には猿が来ていた。
 バイクのオバサンが20Bでどうと声をかけるが、目当てのゲストハウス迄歩く。華商系グループの災害援助事務所の近くにあった。空いている部屋の鍵、2つ持って3階まで行き、線路と反対の方を選び、250B払って、荷物を担ぎあげる。テレビ付き、ベッドが2つある。ただスプリングをはっきり感じるので、連泊はやめる。1つのベッドに使うものを並べ、シャワーを浴び、着ていた下着を洗う。

サンダルを履き、猿にいたずらされないよう、ストックを伸ばして、近くのプラン・サム・ヨットに行く。3つの塔(プラーン)が並んでいた。この7層の砲弾形クメール祠堂は、12世紀後期から13世紀初め頃に建てられたと言われている。ヒンドゥー教のシバ、ヴィシュヌ、ブラフマを祀っている。50B払って中に入る。ここの猿は、小さくて大人しい。右手の遺跡に行くとヒッピー青年が小猿に餌をあげていた。糞尿の臭いが少しする。塔の上の方では、猿が涼んでいた。一回りして入口の方の階段を上がって鉄格子の間から中を撮っていたら、少年が中へ入れると教えてくれる。鍵がかかっていなかった。3つの塔の中央に四角い石や仏像が安置され、1つにはヒンドゥーのポスターが置いてある。小猿も通れない柵がしてあり、猿の方がこちらを見ている。檻の中にいるようだった。
 入口を出て、線路の方にいく。3台の観光バスが停まって、中から眺めていた。線路を越えて直ぐにサン・プラ・カーンがある。ここは現代風のヒンドゥー聖所で階段を上がって靴を脱いで中に入ると、奥に現代風の金箔で出来た像があり、信者が拝んでいる。裏に回ると、遺跡が残っていた。駅の方に行くとナコン・コサ寺がある。ここはスコータイの外れにあるような遺跡だった。奥には仏像もあった。一通り今日の観光巡りは終わった。線路を越えて宿泊探しをする。商店街の天井にまで猿がいた。

monkey under ceiling
 12時になったので、小奇麗な店に入って、ソバを注文。食べていると男女が相席する。聡明な顔をした男はきちっとした英語を話す。
「どこの大学で何を専攻しましたか」
「カセサート大で社会人類学です」
「私は経済学を学んだが、社会に出てからは文化人類学に興味を持ち、タイでも少数民族の旅を続けていました」
「日本の歴史と技術に興味があり、2人で沖縄、東京、仙台に行ってみたいです。」
「着ている金色の上着は制服ですか」
「これは来月15日から始まるナライ王祭の衣装です。旧王宮で行われます。どうですか」
「その頃は友人とカオヤイ国立公園に行きます」

仕事があるので、ワイをして先に精算して出て行く。ネット・ホテルを探している内にソニーの看板がある電器屋に出る。

          the oldest Wat PrangKhaek
 近くに遺跡があるので寄っていく。1番古いプラン・ケークでシバ神を祀ってある。戻って商店街の中を歩いて、店の人に聞いて見つかった。明朝来れば大丈夫だった。もう1軒、ノーム・ゲストハウスは自分で見つけた。トイレ共同なら150B、別棟でネット・ホテルの向かい側にあると言う。自然探検ツァーは、カオタクラ寺と蝙蝠がいる洞穴そして泳ぐものだった。単独だと600Bかかるが、複数だと安くなる。週末に泊まることにして同行者を探すことにした。近くでチェンマイで良く見る揚げ太麺を使った料理カオソイを食べ、7イレブンでビールを買って帰る。

 テレビでロナウドのいるマドリとバルセロナの試合を観ながらビールを飲み、休む。余り疲れていないので起きてしまい、窓から猿を眺める。直ぐ側でメス猿が鉄網を舐めている。塩気が欲しいのだろうか。

from window
18時、階下に降りる。赤いジャージーを着たスポーツチームがここに宿泊している。商店街の奥にスポーツセンターがあったように、ここにはスタジアムがありそうだ。ガイドブックに出ているカオトムホーを探したが、見つからないので、駅前の屋台にする。しかしご飯ものを出していないので、普通の店で缶ビールを飲みながら焼き豚入りご飯を食べる。旦那は料理を出した後、お客が増えて奥さんと息子が代る。夕食にしては物足りないのでソバを食べ、ガイヤーンを買って帰り、ウィスキーのお湯割りを飲みながら食べる。
 19時半、雨が降り出し1時間ほど続く。パソコンに向かったが、寝てしまう。


Nett hotel

ChaoPhrayaWichayen house

guest house

other side shows Thai style

hall

bath and flower in garden

two floor of guest residence

right hand residence for guest

PhraKhruang PhrachaChantoh costs500baht

Wat SaoThongThong

toll gate of King Narai's palace



entrance of palace

national museum

group of Samurai

cowries and other shell accessories


DusitSawanMahaPrasat:audience hall
2月1日 チャオプラヤー・ウィチャエーン邸、プラ・ナーラーイ・ラーチャニウェート宮殿

2時、目を覚ましたので、2時間ほどパソコンに取り組んで寝る。
 7時前、洗面後、仕度。緑茶入り豆乳を飲んでから出る。丁度、スタッフがいたので鍵を渡す。リュックを担ぐところをテープで補強したので良くなった。ネット・ホテルに行くと、係員が調べに行く。白人の年輩女性が買い物から帰ってプラドのような車の後ろを開けて品物を入れていた。彼女は2階の部屋からチェックアウトするところだった。
 303号室に案内されて、納得。250Bを透明袋から出すと、スタッフに「ソンクラーン(水かけ祭り)には便利」と言われる。大きなリュックを運んでくれる。部屋はコンパクトに出来ている上、ソケットが4つ連続しているので使いやすい。

9時、出発。昨日食べたのと同じカオソイを食べる。近くの広場からマントラに似た音楽が聴こえる。大使館だったチャオプラヤーウィチャエーン邸に行く。外人は50B払う。良くみると、タイ人には数字でなくタイ文字で10Bと書いてあった。パンフレットをもらって歩く。ここには鳩が多い。ナーラーイ王がルイ14世の大使アレクサンドル・ド・ショーモンの為に建てたもので、3つの門とファサードに5段の階段があることから沢山の建物を3つに大別できる。先ず写真に載っている建物を撮ってから、左側の住居部分を観る。レンガに2529の数字が残っていた。真ん中のカトリック礼拝堂は裏側の装飾を観ると、タイ様式ということがわかる。右手の宿泊施設の中を観ると2階になっていたことが良くわかり、周囲のレンガに2530と書いてあり、2年かけて建設したと思われる。小さな花、とりわけハクサンチドリに似た薄紫の花が咲いている。係員に明日午前中に入口でデッサンしたいと言って出る。
 次にサオトントン寺に入る。プラクルアンの出店が6軒出ている。プーチャチャントウのが500B、ロンポートゥアになると1000Bしていた。建物は全て改築したようで、開いている堂に入ると真新しい仏坐像が奥に、脇に古いスコータイ様式のものが並んでいた。お寺の参道は朝市場で、未だごったがえしている。

10時半、白壁に囲われたプラ・ナーラーイ・ラーチャニウェート宮殿に入る。入場料150B払うと、30Bの古い日本語パンフをもらう。まず、遺跡を見て象を飼っていた所から宮中に入り、トイレに行っておく。展示室が別にあったので先に観る。
 1685年10月18日、ド・ショーモン仏大使がルイ14世の親書を国王に渡すところの絵がある。直接ではなく跪いていて親書を入れ物に置いて上の方で国王が受け取る。1966年の作品だった。1687年9月1日には、シャム使節団がヴェルサイユ宮殿でルイ14世が謁見している絵もあった。他に日本のローニン(サムライ)の集団の絵や中国との貿易による陶器などを展示。ここでも宝貝がある。ナーラーイ王はキリスト教や回教に対しても布教を許可しているが、本人は強固な仏教徒だった。

本館の国立博物館に入る。3500年前からの先史時代の紹介から始まる。ロッブリーはナコンパトムと同じくシャム湾が近くまで広がっていた頃から集落があり、人骨や縄文土器のような壺、青銅器、宝貝で出来た首飾りを展示していた。書籍や土産品売り場で英書を探したがない。ただ値段のついていない1989年発行のフランス語による解説書「PHRA・NARAI・RATCHANIVET」があり、ロッブリーの歴史をまとめていた。その中で大使館についての説明があり、建物が14あったことがわかる。
 外に出て隣りの遺跡に行く。ここが接見場だった。ナーラーイ王の銅像と仏大使に接見しているレリーフがある。出ると、バーゼルから来た髭もじゃの男に会う。仕事を辞めて1年世界を周っている。東南アジアは7週間だった。
 宮殿を出て南下、カーヴィット寺に行く。ロンリー・プラネットの地図では左側にあるように書いてあるのがないので、一度戻って人に聞いてから右手を探して見つける。入口の角で3人の若者に会い、日本人とわかって一緒に写真を撮りたいと言われる。近くの学校の25歳のパソコン教師2人と社会科の教師だった。お礼に氷にお茶とクリームを入れた飲物をいただく。

teachers treat me fruit juice
 別れて境内に入っていくと、4匹の犬が吠えながら襲ってくる。噛みつかれてもいられないので逃げるが、追いつきそうになって、こちらが身構えると怯む。こういう時に備えてストックを持ってくれば良かった。寺の写真を撮るだけにして戻る。

Dogs scare me at Wat Kawitsararam.
 街の中にもレンガ門が残っている。

gate of alley
 13時、角の店でクィティアオを食べて最後の目的地、プラシー・ラタナー・マハタート寺に向かう。線路近くにバンダイ・ヒン寺があった。

Wat BandaiHin
 駅の方に行くと、ナコンサワン駅のと同じ会社による1912年製造の蒸気機関車161が保存されている。1913年から54年間使われていた。

LocomotiveNo161 madein England operate1913-1967

Lopburi station
 駅前のプラシーラタナーマハタートの方は入場料50B取る。様々の様式が残っている。周りから眺められるので写真を撮って帰る。


Wat PhraSriRatanaMahathat
 ホテルの近くにあるスーパーのテスコで缶ビールとクロアッサンを買う。部屋で飲んで休む。

18時、ホテルの周りを歩いて食べどころを探したが、朝や昼間にあった店が閉まっている。昨晩と同じく駅前の屋台で野菜炒めと炒飯を食べ、野菜と果物をジュースしてもらって飲みながら、広場でのタクローを観戦。ボールが来ると取って投げる。ワイをして礼をされる。腕はプロ並み。中年の人がリーダーのようだが、背中に1番をつけた青年は豪快に技を決めていた。MOLの会場では、白装束のオバサンやMOLマークのシャツを着た人達が僧侶の講話を聴いていた。

sermon of MOLgroup
 部屋でテレビを観る。週末のせいかドラエモンをやっていた。他は専らスポーツ番組。SMMTVでは、2人のキャスターがVAIOを前にしてスポーツニュースを報道。ドバイでのヨーロッパ・ゴルフ選手権、バウハウスでのスケルトン世界選手権を観る。


Lopburi zoo map

gate of zoo

tree'Tonsai'


ceramic water pipe for king's palace



with WinitSukasa high school students

Kumon private school

king Narai's monument

ChaoPhrayaWichayen house
2月2日 新ロッブリー、動物園、ナーラーイ像

7時に目覚める。コーヒーを飲んで出る。階下でスタッフに会ったので、1日延長の金を払う。旧大使館に行ったが、開館時間を過ぎても開かないので、新ロッブリーに行く。バス停に停まったバスにバス・ターミナルに行くか聞くとドライバーが頷くので乗り込む。女車掌は氷入り水を中央のスペースに置いてワイをしてから、料金を徴収、8Bだった。
 国道311を2km走ってスリ・スリヨタイ・ロータリーで降りる。道路を慎重に渡ってロッブリー動物園に行く。ここには外人も来ないせいか一律30Bの入場料を払う。

 時計回りに歩く。解説はタイ語だが、動物の名前に英語が書かれていた。黒いギボン猿は島に住んでいる。上から垂れて来て根っこになる大木をオッサンに聞くと「トンサイ」と教えてくれる。キングコブラは脱皮した殻しか見えず、水の中で休んでいるようだ。「ピラルク」はアマゾン河に棲息している魚のようだ。「サイアム鹿」はインドシナ半島産。大ギボン猿は大きな声を盛んに出す。同じ檻にいる金色の手長猿は鉄棒を掴んで何度も回転する。
 古い水道管は、1632年から1678年までスプル川からナライ王の宮殿に繋げるものだった。雄孔雀が丁度、雌に向かって羽根を広げていたので写真を撮る。父親と娘も見ていた。パンテラ虎は悠然としていたが、係員がタンクを背負って薬剤を噴霧しに来た時は檻の前にやって来た。隣りの檻にいるライオンは噴霧が終わってから現われ、後ろに振り向きざま、ピュッと小便を飛ばす。危なくひっかかるところだった。

一通り見て案内図の所に戻ると女子が殆どで男子1人のグループがいた。サムスンとニコンのデジタルカメラで動物園を取材している。ウィニト・スクサ高校生。急に「韓国についてどう思うか」と英語で訊いてくる。一瞬、韓国ドラマが流行っていることを考えて答える。
「韓国は今や技術も一流になって成長しています。日本との関係は領土問題など政治的にギクシャクしていますが、隣りの国であり歴史的には長い付き合いがあります。日本と同じように漢字を使っていましたが、今はハングル文字になっています。皆さんはハングル文字を知っていますか」
 知らなかった。突っ込んで訊くのはやめて写真を撮って別れる。未だ行っていない「HOGDER」羊を観て戻る。

10時、運河に向かって歩く。近くに「KUMON」塾があった。土曜日のせいか生徒と保護者で一杯だった。中に入ってみる。「数学、読書、成功」がモットーだった。デスクにいた女性マネジャーと応対したが、奥に行って英語の出来る男を連れて来た。明らかにホモで、丁寧に答えてくれる。タイでは100校以上あり、5歳から30歳までを対象にしていた。ただ30歳の場合は講義式ではなく、チューターと議論しながら進めていく。2人の写真を撮らしてもらって辞去。
 運河を渡ると、バイクや車の営業所や修理店が続く。左手に運動場と競技場が続いていた。ロータリーの国道1号線を渡って中央のナーラーイ像に行く、宮殿にあったものと同じ大きさが大理石台の上に立っていた。小錦型のオニイサンが竹製お香を仕切っている。写真を撮って引き下がり、ベンチで休む。参拝者の中には金箔を大理石に貼っていた。蜜柑一山持って来たオバサンは献花もしている。
 反対車線の道を歩いてバス停で様子を見ていると、ソンテオがやって来た。学生が降りて料金を払っているところに行くと女性ドライバーだった。行き先を言うとOKだった。立って行こうとしたら、座れるようにしてくれたので座る。

11時17分、駅の近くで女性ドライバーがわざわざ降りて、この先市場に行くので降りたらと勧められ、8B払う。まずホテルに戻ってトイレに行ってスッキリしてから旧大使館に行く。開いていた。入口の脇にある石にマットを置いて座り、代表的な建物を描く。左上に鳩を入れる。曇っているのでしのぎやすい。係員は本を読むのをやめて、弁当を食べていた。
 12時50分、今までとは反対の方に行ってカオパットを食べる。私のをつくった後、道具をしまう。食べた後、30B払って出る。
 近くに橋があるので寄る。2つの川が合流してロッブリー川になっていた。戻ると旧大使館の隣りに遺跡がある。プエン寺でホールのようなのがあるだけだった。


Wat Puen
 13時25分から再開。1時間で終わりにして係員に挨拶して出る。

 後日、羽田令子「タイ・燦爛たる仏教の都」を読んでチャオプラヤー・ウィチャエーンと、日本とポルトガルの血をひく女性との物語を知る。彼はギリシャ人ファルコン。1679年、アユタヤのイギリス商館員として赴任。ポルトガル人町でキリシタンの子孫マリ・ギヨマーと知り合い、キリスト教徒になる。1682年、ファルコン34歳、マリ18歳の時に結婚。その後、ファルコンは外務大臣から1685年総理大臣(チャオプラヤー・ウィチャエーン)まで出世。しかし3年後、ナライ王が重病の時、革命勃発。王弟派プラ・ペラチャ軍に逮捕されて刑死。マリ(タイ語名タオ・トン・ギープマ)は、タイ・スラ王の時世になってから宮中の女官頭として大膳係や教育係を務めている。彼女が教えた
菓子フォイ・トーンやトーン・ジップ、トーン・ヨット等は今でも賞味されている。

 ノーム・ゲストハウスに寄ってアドヴェンチャー・コースの応募状況を確認すると、午後4時から7時まで行く人がいると言う。それならば600Bが350Bになるので行くことにする。一反部屋で休んでから、洞穴用の懐中電灯、ストックなどをリュックに入れて10分前に行く。ところが現われなかった。
 外に出たところに変わったデザインのミニバンが駐車してあり、赤と黒の制服を着たグループが乗り込む。聞いてみると、カラパオ団員で、これからサラブリに行くと言う。ホテルに戻ってビールを買って部屋でシャワーを浴びてから飲む。

19時、駅前に行って、昨晩、食べた屋台で、ホット・サワー・スープと揚げ豚いりご飯を注文して食べる。揚げ豚の方は野菜もあり、少年や壮年も食べていた。ホット・サワーは辛いが具も多く美味い。


open restaurant at station
 ホテルに戻ってテレビを観ながらパソコンに向き合う。ワールドカップ・女子クロスカントリーでノルウェーのスタイラ選手がダントツ。石田選手が後半まで2位にいたが、結局7位。しかし大健闘だった。

  

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